1964-05-06 第46回国会 衆議院 建設委員会 第26号
○河野国務大臣 ただいまも申し上げましたとおりに、戦争の痛手が非常に大きゅうございましたので、そのあと始末に実は非常に公共投資が食われて、そうしておるところに、公開経済ということがやってまいりまして、大都市に人口の過度集中が起こってきた。
○河野国務大臣 ただいまも申し上げましたとおりに、戦争の痛手が非常に大きゅうございましたので、そのあと始末に実は非常に公共投資が食われて、そうしておるところに、公開経済ということがやってまいりまして、大都市に人口の過度集中が起こってきた。
○河野国務大臣 これもすでに御承知のとおりと思うのでございますが、われわれといたしましては、数年前までは主として地域格差の是正、国全体をそれぞれの部門におきまして開発をし、利用する、そこに産業を興こすということに重点を置いておりましたが、近時公開経済の影響を受けまして、利用される、もしくはそれを活用される地域が非常に限られてまいりました。その方面に過度の人口集中、産業の集中が起きてまいりました。
つまり、農林大臣当時には、日本の経済がこれほど急速に公開経済もしくは世界経済の一環として変革してまいるという気持ちを持っておりませんでしたので、従来の日本の農村をその次元において構造を改善をする、もしくは新しい経営をするということで単純に考えておりましたが、現在の時点におきましては、これは大きな誤りであった。少なくとも、これからの日本の農村の果たす役割りというものは非常に変化してくる。
この原因は、おそらく私は経済情勢の変化、つまり、公開経済、国際経済にすみやかに日本経済が入ってまいります、また、必然的にそういうふうなことになってきた関係が、そういうふうに大きくあるのじゃないかと思います。
つまり公開経済の結果、非常に日本の国内産業に与えた、各種の産業に与えた条件の変化、さらにこれに対応するような道路網の整備、その道路網の整備を基盤として、そこに新しい自分の将来の生業の基盤を定める必要があるということが、いま政治の問題として一番大きな問題だと私は考えます。
それは大きく経済の、何と申しますか、このごろのことばで公開経済といいますか、世界経済の中に日本の経済が溶け込んでいくようになった。そのために、どうしても、この大きな経済の中になるべく近寄って、そうしてこの影響をなるべく受けていくことのほうがより暮らしやすい社会があるということのために、日本の人口が大幅に移動をしてきた。
この姿は、公開経済に移行してまいりますわが国は、国内における産業の分布、国民諸君の住居の変動というようなことを想定いたしまして、そして新しい日本のあるべき姿を想像しつつ、道路交通の整備をしてまいろうということに方向を置いておるわけでございます。
ところが何ぶんにも経済の急激な変化、と申しますのは、最近いわれますような公開経済、日本の産業構造が急激に変化いたしましたために、新たに住宅を要求する人が非常にふえてきた。